こんにちは。
ソーシャルインベストメントのふなぐちです。
前回のメルマガでは、本多静六の話をしました。
収入の4分の1を先に貯め、残りで暮らし、その元手を投資に回して大きな財産を築いた男です。
静かな顔をした、資産形成の化け物でした。
今日は、その本多静六とはまったく違うタイプの人物を取り上げます。
是川銀蔵です。
この名前は、相場の世界ではかなり有名で、「最後の相場師」と呼ばれた人物です。
本多静六が、静かに水路を作ってお金を流していった人だとすれば、是川銀蔵は、荒れた海に小舟で突っ込んでいくような人です。
何度も沈みかけていますし、普通の人なら完全に沈んでいるところを、なぜかまた浮かび上がってきて、最後にはとんでもない規模の相場をやってのけます。
この人の人生は、きれいな成功物語ではありません。
負けては稼ぎ、また失っては立ち上がり、時代に巻き込まれても、それでもまた相場に戻ってくる。
まさに、昭和の相場そのものみたいな人生です。
是川銀蔵は、1897年、兵庫県赤穂市に生まれました。
零細漁師の家の、7人兄弟の末っ子だったと言われています。
スタート地点はまったく恵まれておらず、海のそばで生まれ、貧しさの中で育った少年が、のちに長者番付1位になる。
この落差だけで、すでにドラマです。
14歳になると、神戸の貿易商に入りますが、その会社が倒産します。
普通なら「運が悪かった」で終わるところですが、若い是川銀蔵は、人に使われているとこういうことに巻き込まれるのなら自分で事業をやりたい、とかなり強烈なことを考えます。
14歳で会社の倒産を見て、そこまで考えるあたり、もう少し普通ではありません。
その後、中国へ渡って大金を稼ぎますが、第一次世界大戦の戦乱に巻き込まれ、いきなり無一文になります。
若くして稼ぎ、そして失う。是川銀蔵の人生には、このパターンが何度も出てきます。
何かをつかんだと思ったら、時代の大波にさらわれるのです。
それでも彼はそこで終わりません。
大阪で鉄のブローカーをしながら、伸鉄や亜鉛メッキの工場を経営し、関東大震災後の復興需要でも大きな利益を得たとされています。
ここで面白いのは、是川銀蔵がただの株好きではなかったことです。
彼は実業の現場を見ていました。
鉄や工場、復興需要、土地、鉱山、資源といった、紙の上の数字だけでなく、現実のモノの動き、人の動き、需要の動きを見ていた。
これが、後の相場観につながっていきます。
ところが、またしても試練が来ます。
1927年の昭和金融恐慌です。
取引銀行の倒産に巻き込まれ、会社を失ってしまいます。
私なら、このあたりでだいぶ心が折れます。
若いころに中国で稼いで無一文になり、大阪で事業をやって成功したと思ったら、今度は金融恐慌で会社が人手に渡る。
さすがに「もうええわ」となりそうなものです。
でも是川銀蔵は図書館へ通い、経済学を独学します。
会社を失って、ただ落ち込むのではなく、なぜ自分は巻き込まれたのか、経済とは何なのか、相場とは何なのかを学びに行く。
しかも学校ではなく図書館です。
金がなくても、学ぶ。この感じが、かなり強いです。
1931年、是川銀蔵は大阪で株取引を始めます。
元手は70円。
それを7000円に膨らませたとされ、100倍です。
もちろん今の感覚で単純比較はできませんが、この数字の跳ね方はどう考えても普通ではありません。
ここから彼は、ただの事業家ではなく相場の人になっていきます。
1933年には是川経済研究所を発足させます。
相場を、ただの勘や度胸ではなく、経済全体の流れから見ようとしていたわけです。
そして1938年には朝鮮で是川鉱業を設立し、鉄工所や鉱山を経営します。
ここでもやはり、鉄や鉱山といった実物と、それを支える需要です。
是川銀蔵の相場観には、常に地べたの匂いがあります。
株価チャートだけを見ているのではなく、その裏にある鉱山、工場、戦争、復興、需要を見ている。
だから彼の相場はどこか荒っぽいのですが、同時に妙に現実的でもあります。
ところが1945年、敗戦で全財産を没収され、さらに投獄もされます。
また人生の積み上げが吹き飛んでしまうわけです。
ここまで来ると、もはや相場以前に、時代そのものが敵になります。
ただ、是川銀蔵はここでも奇妙な形で助かります。
朝鮮人や従業員、労働者たちが彼のために嘆願したとされていて、差別をしなかったために助けられたのだそうです。
この話は、彼の座右の銘につながっているように思います。
誠と愛。
是川銀蔵は、色紙を頼まれると「誠と愛」と書いたそうです。
相場師という言葉からは、買い占め、張り、勝負し、一気に取りに行くような、どうしてもギラギラした印象を受けます。
でも本人の処世訓は誠と愛。このギャップが面白いのです。
相場の世界で生きた人が、人生の理想として誠と愛を掲げ、株で儲けたお金は恵まれない子どもたちのために使いたいと語っている。
単なる金儲けの人ではない。
ここが、是川銀蔵という人物の奥行きです。
戦後、彼は引き揚げて、食糧問題を解決しようと是川農業研究所を設立します。
コメの二期作や綿花栽培の研究に取り組んだそうです。
ここでもやはり現場です。
食べ物、土地、農業、そして人の暮らし。
相場だけを見ているのではなく社会の不足を見て、その不足にお金と労力を向けようとする。
このあたりが、ただの株の売買だけでは語れないところです。
1960年、是川銀蔵は株取引を再開し、同時に大阪近郊の土地を購入します。
1965年にその土地を売り、元手3億円を株の運用につぎ込みます。
ここから、晩年の是川相場が始まります。
70円を7000円にした若いころとはもう桁が違い、しかもこれは60代後半の話です。
普通なら守りに入る年齢ですが、是川銀蔵はそこからまた勝負します。
1976年、6億円に増えた元手のうち3億円を日本セメント株へ投資します。
需要増を追い風に、翌年30億円の利益を得たとされています。
3億円が30億円の利益を生む、これもまた数字が荒いのですが、単なるギャンブルではありません。
需要を見て、時代を見て、復興やインフラ、素材の動きを見たうえで、自分の資金を大きく置いた。
是川銀蔵の投資には、常にこの感じがあります。
ニュースの見出しではなく、その下で本当に動いている需要を見る。
企業名ではなく、その企業の背後にある社会の変化を見る。
そして勝負するときは大きく勝負する。
これが彼の凄みであり、魅力でもあります。
そして伝説になるのが1981年です。
住友金属鉱山株の買い占めで、翌年200億円の巨利を得たとされています。
しかもそのとき是川銀蔵は80代です。
80代で住友金属鉱山株を買い占め、翌年200億円の利益を得て、1983年には長者番付1位になる。
もう話が大きすぎます。
80代と聞くと、普通は穏やかな余生を想像します。
朝起きて、新聞を読んで、お茶を飲んで、少し散歩して、夕方には相撲でも見る。
そんなイメージです。
でも是川銀蔵は違いました。
80代で、日本を代表する鉱山会社の株を使って、証券史に残るような相場を張っている。
年齢の概念が、少し壊れます。
ただ、私はここで「だから皆さんも80代で買い占めましょう」と言いたいわけではありません。
むしろ、そのまま真似したら危険です。
是川銀蔵の相場はかなり大きく、勝てば巨大、負ければ地獄です。
普通の個人投資家が、軽い気持ちで真似できるものではありません。
でも学べることはあります。
それは、相場を狭く見ないことです。
是川銀蔵は株価だけを見ていた人ではなく、鉱山を見て、鉄を見て、土地を見て、食糧を見て、復興需要を見て、金融恐慌を見て、戦争と敗戦を見ていた。
要するに、社会の大きなうねりの中で、どこに不足があり、どこに需要が生まれ、どこにお金が向かうのかを見ていたのです。
ここは、今の投資にもそのまま通じます。
AI、半導体、電力、データセンター、防衛、資源、インフラ、高齢化、医療、食糧。
テーマの名前だけを追っても、投資は浅くなります。
でも、その奥にある不足を見ると、少し違う景色が見えてきます。
何が足りないのか、誰が困っているのか、どこに需要が生まれているのか。
その需要は一時的なのか、何年も続くものなのか。
それを満たす企業はどこなのか。
ここまで考えると、投資はただの銘柄探しではなく、社会の変化を読む作業になります。
是川銀蔵の人生は、あまりにも波乱が大きいので、そのまま真似するものではありません。
本多静六が静かに資産形成の土台を作った人なら、是川銀蔵は、時代の濁流に何度も流されながら、それでも大きな魚を取りに行った人です。
どちらが正しい、という話ではなく、投資にはいろいろな顔があるということです。
本多静六のように、生活を設計し、元手を作り、時間を味方につける投資。
是川銀蔵のように、社会の大きな変化を見て、そこに資金を置く投資。
どちらにも学ぶところがありますが、順番を間違えてはいけません。
普通の個人投資家が、いきなり是川銀蔵の真似をするのは危険です。
まずは本多静六です。
元手を作り、生活を整え、無理のない資金で相場に参加する。
そのうえで、是川銀蔵のように、社会の大きな流れを見る目を持つ。
この順番が良いと思います。
土台は本多静六、視野は是川銀蔵。
この二人を並べると、かなり面白いです。
一人は毎月の収入の一部を静かに切り離し、もう一人は時代の不足を見つけてそこに大きく張った。
一人は人生を長期投資のように設計し、もう一人は人生そのものを相場の中に置いた。
どちらも普通ではありませんが、どちらも投資家にとって大事なことを教えてくれます。
投資は、画面の中だけで完結しません。
チャートの向こうには企業があり、企業の向こうには需要があり、需要の向こうには人の暮らしがあります。
そして、人の暮らしが変わるところに、大きなお金の流れが生まれます。
是川銀蔵は、その流れを見ようとした人でした。
95歳で亡くなるまで相場の人であり続けた男、最後の相場師、是川銀蔵。
私はこういう人生を知ると、相場を見る目が少しだけ広がる気がします。