こんにちは。
ソーシャルインベストメントの
ふなぐちです。
今日は、
本多静六という人物の話をします。
この人、投資家というより、
人生そのものが投資みたいな人です。
端的に言うと、
誰でもできる方法で100億を作り、
最後はキレイサッパリと手放した男。
そんな人物の話をします。
生まれたのは、1866年。
今の埼玉県久喜市あたりです。
時代で言えば、幕末です。
スマホもない。
ネット証券もない。
新NISAもない。
当然、YouTubeで
「これから上がる銘柄5選」
などと言ってくれる人もいません。
それどころか、本多静六は、
かなり厳しい環境から人生を始めています。
10歳のときに父を亡くし、
家は貧しくなりました。
そこから14歳で上京。
今で言えば、中学生くらいの年齢で、
田舎から東京へ出てくるわけです。
しかも、
「よし、東京で一旗揚げるぞ」
という明るい青春物語ではありません。
貧しさの中で、学ぶために出てきました。
17歳のときには、
東京王子に新しくできた山林学校に入ります。
ところが、入学してすぐの試験で落第。
ここで本多静六は、深く落ち込みます。
そして、失意のあまり
自殺を図ったとも伝えられています。
この時点だけを切り取れば、
とても「将来、日本初の林学博士になり、
巨額の財産を築く人物」には見えません。
むしろ、人生のかなり早い段階で、
完全に折れかけている。
でも、ここからです。
本多静六は、思い直して勉学に打ち込みます。
そして、東京農林学校から、
東京帝国大学農科大学林学科へ進み、
1890年に優秀な成績で卒業します。
さらに、その年にドイツへ留学。
ミュンヘン大学で学びます。
ただ、この留学も、
ゆったり優雅な海外生活ではありません。
お金に余裕があるわけではない。
むしろ、かなり厳しい。
普通なら4年かかる課程を、
2年で終えるという、
なかなか無茶なことをやります。
無茶です。
でも、やり切りました。
そして、博士号を得て日本に帰ってくる。
その後、母校である
東京帝国大学農科大学の助教授になります。
まだ25歳前後です。
25歳で東大の助教授。
私の25歳と比べると、
申し訳ないくらい違います。
私の25歳は、もっとこう、
全体的にふわふわしておりました。
それはさておき、
本多静六はその後、
日本初の林学博士となり、
東京帝国大学の教授にもなります。
学者としても、
とんでもなく立派な人です。
しかも、
机の上だけの学者ではありません。
日比谷公園。
明治神宮の森。
国立公園。
鉄道防雪林。
津波防潮林。
こうした日本の自然、公園、森づくりに、
深く関わっています。
つまり、本多静六は、
ただお金を増やした人ではありません。
日本の風景そのものに、
手を入れた人です。
街を歩けば公園がある。
神社に行けば森がある。
水源を守る森がある。
災害から人を守る林がある。
そういう、
人の暮らしの土台に関わる仕事をした人です。
ここが、
この人の面白いところです。
単なる蓄財家ではない。
単なる投資家でもない。
仕事で社会に残るものを作りながら、
裏側では自分の資産形成も、
ものすごい精度で積み上げていた。
この二重構造が、
本多静六のすごさです。
で、ここからいよいよお金の話です。
本多静六が有名なのは、
「四分の一天引き貯金法」です。
あなたもご存じかも知れません。
これは、収入が入ったら、
まず4分の1を貯金する。
そして、残りの4分の3で生活する。
さらに、
兼務の報酬、賞与、諸手当、原稿料など、
本業以外から入るお金は、
基本的に全部貯金に回す。
こういうやり方です。
なかなか強烈です。
単に、
「今月は節約しよう」
ではありません。
収入が入った瞬間に、
問答無用で4分の1を切り離す。
生活費は、
最初から残りの4分の3しかないものとして
考える。
しかも、臨時収入はご褒美ではなく、
資産形成の燃料にする。
これを若いころから続けました。
ここで大事なのは、
本多静六が最初から
大金持ちだったわけではないことです。
むしろ、貧しさの中で育ち、
苦学して、ようやく職を得た人です。
お金が余っていたから
貯めたのではありません。
余らないことを知っていたから、
先に抜いたのです。
多くの人は、
「残ったら貯めよう」
と考えます。
でも、それだと残らない。
不思議なくらい残らない。
お金というのは、財布にいるあいだに、
勝手に居場所を見つけて出ていきます。
まるで、足が生えているようです。
気づけば、月末にはいない。
本多静六は、たぶんその性質を
よくわかっていたのだと思います。
だから、お金が逃げ出す前に、
こちらが先に捕まえた。
それが四分の一天引き貯金法です。
しかし、この方法は
最初から楽だったわけではありません。
当然、生活はきつい。
収入の4分の1を先に取ってしまうのですから、
残りで暮らすしかありません。
若いころの本多家は、
かなり苦しい生活だったと伝えられています。
月末になると、食卓がかなり質素になった。
家族からすれば、
たまったものではありません。
しかし、
本多静六はここで折れませんでした。
この貧しさは、
外から押しつけられた貧しさではない。
将来のために、
自分から選んだ貧しさである。
・・・そう考えていたわけです。
このあたり、かなり極端です。
正直、現代でそのまま真似するのは、
家族会議が必要です。
下手をすると、
家庭内で静かに政変が起きます。
ただ、本多静六のすごさは、
「苦しい生活をしたこと」
そのものではありません。
苦しい時期を、
資産形成の初期投資として
位置づけたことです。
若いころに生活を引き締める。
そこで元手を作る。
その元手を投資に回す。
投資から利子や配当が入る。
その収入もまた資産形成に組み込む。
こうして、
お金がお金を連れてくる流れを
作っていきました。
そして、
40歳のころには、貯金の利子が
本業の給料を上回るようになります。
今で言えば、
会社員や事業収入とは別に、
資産から入ってくるお金が、
本業収入を超えたような状態です。
いわゆる経済的自立に近い状態です。
しかも、
これを明治の時代にやっている。
新NISAもない。
ネット証券もない。
スマホでポチッともできない。
投資情報も今ほど簡単に手に入らない。
そんな時代に、
収入の一部を先に確保し、
それを元手に投資し、
40歳で資産収入が本業収入を超える。
これは、
ただの節約家ではありません。
資本主義の仕組みを、
体で理解していた人です。
では、本多静六は
どれくらいの財産を築いたのか。
資料によって表現に幅はありますが、
現在価値で100億円余りとも言われています。
100億円。
もう、
四分の一天引き貯金法という名前の地味さと、
結果の金額がまったく合っていません。
名前は地味。
やっていることも地味。
でも、到達点は100億円規模。
これはもう静かな顔をした化け物です。
しかも、その財産の作り方も、
ただ銀行に預けていたわけではありません。
貯金で作った元手を、
株式や山林などへ投じていきました。
最初は、貯金で芯を作る。
そこから、資産を投資へ回していく。
そして、時間をかけて大きくする。
この順番です。
最初から大勝負をしたわけではありません。
元手もないのに、いきなり相場で
一発逆転を狙ったわけでもありません。
まず、
生活の中からお金を生み出す仕組みを作った。
次に、そのお金を働かせた。
この順番が美しい。
そして、
本多静六の人生がさらに面白いのは、
財産を築いたあとの話です。
彼は、ただお金を増やして
終わった人ではありません。
50歳を過ぎるころから、
本業以外で得る報酬を、
公共のために回すようになります。
さらに、
研究所財産として持っていた山林なども、
公共事業へ寄付していきました。
1930年には、
秩父の大滝村中津川地域に所有していた森林を
埼玉県へ寄贈しています。
その面積は、4803町歩。
今の感覚ではピンと来ませんが、
とにかく広大な森林です。
そして、
その森林から生まれる収益を、
才能がありながら
経済的に恵まれない若者のための
奨学資金に充てるようにしたのです。
つまり、
本多静六は、
自分のために資産を作り、
その後、
社会のために資産を手放した。
100億円規模とも言われる財産を築く。
でも、最後は握りしめない。
子どもたちに余計な争いの種を残さないように
家族には必要最小限を残し、
学校、育英、公益のために寄付していく。
この引き際まで含めて、
本多静六という人物なのだと思います。
普通、お金を作る話はよくあります。
いくら儲けた。
何倍にした。
資産がいくらになった。
そういう話は、
世の中にたくさんあります。
でも、本多静六の場合は、
作ったあとが面白い。
作った。
増やした。
そして、手放した。
この流れが、
なんとも大きいのです。
資産形成というのは、
ただお金持ちになるためだけのものではない。
人生の自由度を上げるためのもの。
自分の仕事を深めるためのもの。
家族を守るためのもの。
そして、
最後には社会へ返していくためのもの。
本多静六の人生を見ると、
そんなふうに思えてきます。
だから、彼の四分の一天引き貯金法は、
単なる貯金テクニックではありません。
若いころの貧しさ。
学問への執念。
ドイツ留学。
東大教授としての仕事。
日本の森や公園づくり。
毎月の天引き貯金。
株式や山林への投資。
40歳で資産収入が本業収入を超える。
100億円規模とも言われる財産形成。
そして、
その多くを公共のために手放す。
この全部がつながって、
本多静六という人生になっています。
静かに積み上げて、
静かに大きくなり、
最後は静かに渡していく。
なんというか、
資産形成の大河ドラマです。
そして、
ここから少しだけ今の投資の話に戻します。
私たちはつい、
「何を買うか」ばかり考えます。
日本株か。
米国株か。
AIか。
半導体か。
高配当か。
インデックスか。
もちろん、
それも大事です。
でも、本多静六の人生を見ていると、
その前にもっと大事なことがあると
わかります。
そもそも、
投資に回せるお金を作れているのか。
そのお金は、
生活から切り離されているのか。
長い時間を与えられるお金なのか。
ここです。
本多静六は、相場の前に、
自分の生活を設計しました。
お金の入口で、
まず未来の自分の取り分を確保した。
そのうえで、残りで暮らした。
そして、作ったお金を投資に回した。
この順番は、
今でもまったく古くありません。
むしろ、
情報が多すぎる今だからこそ、
この順番に戻った方がいいと思います。
投資の情報は、
毎日いくらでも流れてきます。
でも、情報が増えたからといって、
お金が勝手に増えるわけではありません。
土台がなければ、
どれだけ良い情報を見ても、
それを活かせません。
本多静六は、
その土台を若いころから作った。
そして、その土台の上に、
仕事、投資、社会貢献を積み上げた。
だから強いのです。
というわけで、
今日は本多静六の話でした。
10歳で父を亡くし、
貧しさの中で育ち、
一度は挫折し、
それでも学び、
日本初の林学博士となり、
日本の森と公園に足跡を残し、
四分の一天引き貯金法で巨額の財産を築き、
最後はその多くを社会へ返した男。
本多静六。
名前は静かですが、
人生はまったく静かではありません。
私はこういう人を知るたびに思います。
投資とは、
銘柄を当てることだけではない。
人生の作り方そのものなのだなと。
まとめがキレイすぎて
若干気持ちが悪いですが、
その点、あしからずご了承ください。