こんにちは。
FX担当の清水一喜です。
■ 配られた手牌で、どう生きるか
「どんな牌が来るかは選べない。
選べるのは何を捨てるかだけ。」
麻雀を嗜む方なら、一度は似たような思いを
抱いたことがあるかもしれません。
山から引き寄せる配牌やツモは、運の領域です。
私たちの意志で「次の牌」を
コントロールすることは絶対にできません。
配られた13枚の手牌を眺め、
上がりに近づくために、どれを手元に残し、
どれを場に捨てるのか。
自分でコントロールできる唯一の行為は、
「何を手放すか」という決断だけです。
これは麻雀に限らず、私たちの人生、
そして「選択」という営みの本質
そのものではないでしょうか。
■ 詩人サミュエル・ヘイゾの眼差し
アメリカの詩人サミュエル・ヘイゾに、
こんな言葉があります。
すべてに期待すると、
何にも満足できなくなる
何にも期待しなければ、
何にでも価値を見出すことができる
すべての可能性を手中に収めようとし、
あらゆる展開に過度な期待を寄せると、
人は目の前の現実に失望し続けます。
「もっと良い牌が来るはずだった」
「もっと完璧な展開になるはずだった」と。
けれど、最初から相場や運命に
過度な期待を抱かず、
ただ巡ってきた現実をフラットに受け止めること。
期待を手放した瞬間に初めて、
手元に残された僅かな選択肢の中に
本当の価値が見えてくるのです。
■ 私たちは「相場の未来」を選べない
そしてこの二つの視点は、
FXのトレードと恐ろしいほど残酷に重なり合います。
チャートを開いたとき、
次に価格が上に行くか、下に行くか。
大きなトレンドが生まれるのか、
レンジで終わるのか。
私たちは、相場の未来を1ミリたりとも
選ぶことはできません。
相場が提示してくる値動きは、
麻雀で言えば「勝手に配られる牌」と同じです。
それなのに、多くのトレーダーが
「上に行ってくれ」「ここで跳ね返ってくれ」と、
相場に対して勝手な「期待」を
膨らませてしまいます。
すべての上昇も、下落も、
利益も取り込もうと期待するから、
ポジションが逆行した時に現実を受け入れられず、
損切りができなくなってしまうのです。
■ トレードとは「何を捨てるか」の美学である
相場の未来を選べない私たちが、
唯一みずからの意志で選べるもの。
それは、「何を捨てるか」です。
「この相場環境では、利益を追うことを捨てる(見送る)」
「思惑と外れたから、自分の執着を捨てる(損切り)」
「今回のトレードでは、完璧な頭と尻尾を捨てる」
完璧な勝利への過剰な期待を捨てること。
無数のエントリーチャンスを自ら捨てること。
そうやって無駄な欲や期待を削ぎ落とした時にだけ、
「残るべくして残った、たった一つの優位性」が
くっきりと浮かび上がってきます。
■ 諦念(ていねん)の先にある、本当の強さ
「何を捨てるか」を自分自身で選ぶということは、
冷たい諦め(あきらめ)のように思えるかもしれません。
しかし、仏教でいう「諦念」とは、
「事情を明らかにして、納得すること」
を意味します。
相場の不確実性を真に理解し、
コントロールできないものへの期待を
捨てたトレーダーだけが、
自分の選択に一切の言訳をせず、
静かに引き金を引くことができる。
捨てたものの分だけ、あなたの
トレード手法は研ぎ澄まされます。
あなたは今日、チャートの前で
「何を捨てるか」の準備ができていますか?
そこれが相場の真理です。
今週もナイストレード